変態広告史より稟告
曩に三業会社設立之節は、止事無事情に罹り辞するに難く無余義社事取扱候より、
遂に引手茶屋との間に葛藤を生ぜしが、風浪漸く静りしは豈賀すべきの事ならずや。
然るに余波尚動揺して、自家元は送客をせぬとの茶屋申合のあるよし、
是こそ大変ヲヲ怖や懼しやと驚く筈なれど、
さはなくて晏然として営業の前日に変らず繁盛せるは、
茶屋の手引を労するなく、愛恵の花客は輻輳すればなり。
夫れ而巳ならず当時自家出稼之二十三名の住人達、
茶屋の申合を聞とひとしくその濫りに妾等の生活を妨るの甚しきを怨み、
此上は楼主も茶屋の口気に拘らず、只管花客の満足する事を謀り給へ、
妾等も又別に好手段の存するありとの勧誘を受け、
意味深所は知らねども其首唱に其き一ト思案を巡らせしに、
第一は花客の失費を減じ、第二は待遇を克するに不如べしと、
まづ自家にて割烹を始め、給仕の婦人数多を置、
目先を替へ京坂の風姿に倣ひ彼仲居如き一様之粧ひにて差出し諸事花客の御取なしを専らとし、
聊か不自由なからしめず、
又乍疎末も一寸通しの膳肴一二種を供せんとする事を工夫を定め、
是迄御来光の節とは更に模様を替、当九月一日より弥相始め候間、
何も御光臨の上便不便廉不廉は御探訪被下度右吹聴間不相替御受顧御来車の程奉希候。
明治八年十一月 新吉原江戸町一丁目
貸座敷渡世 金瓶大黒